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合掌の意味とは?なぜ手を合わせるの?僧侶がわかりやすく解説!!

仏さまへ参る時に両手の手のひらを合わせることを合掌(がっしょう)といいます。

何気なく手を合わせている方も多いと思いますが、実はこの合掌する姿には大事な意味があるんですよ。

本記事ではお寺参りの基本中の基本、合掌の仕方や意味・由来を詳しく解説します。

合掌とは?

合掌は古代インドで使われていたサンスクリット語のアンジャリañjaliという言葉を訳したものです。

胸や額の前で両手の手のひらを合わせて相手への敬意を表します

仏教が起こるよりも前から、インドでは合掌の姿で挨拶がなされていたようです。

合掌の意味

一言で言うなら合掌の意味は尊敬と感謝です。

インドでは今でも挨拶で「ナマステ」という挨拶をしますよね。

「ナマス(namas)」は敬意・敬意の意味、「テー(te)」はあなたにという意味。

合掌とともに「ナマステ」と言うインドの挨拶は「あなたに敬意を持って礼拝します」という敬いの気持ちを表した挨拶ということですね。

また、インドでは右手が清浄な手左手が不浄な手とされています。 清浄な手とは仏の象徴であり、不浄な手は人間をあらわします。

仏前で手を合わせることでこの2つが一体となる意味を持っているんですね。

合掌の姿は平和的

この合掌の姿は相手に対する暴力的な意思がないことを示しています。

仏教とともに合掌の所作が伝わったタイなどでも挨拶の時には手を合わせ合掌します。

これは目の前の相手に対して「あなたのことを大事に思ってますよ、敬意を持っていますよ。」ということを態度で示しているわけです。

合掌・礼拝の仕方

合掌・礼拝をするときの基本の姿勢を紹介いたします。

これを参考にしてお寺やお仏壇に参る時にやってみてください。

1.両手をみぞおちの前あたりであわせる。

軽く胸にあたる程度で手の角度は45度程度。

合掌の仕方1
みぞおちの前あたりで手を合わせます。

2.数珠を両手にかけ組紐・房が自然に下にたれるようにし、親指で軽く押さえます。

合掌した両手に数珠をかけましょう。

視線はご本尊である阿弥陀さまの方にむけてください。

合掌の仕方2
数珠は両手を通してください。

3.「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と数回声にだしてお念仏を唱え、上体を前方に45度傾け礼拝します。

浄土真宗では合掌・礼拝とともに南無阿弥陀仏をとなえます。

合掌の仕方3
南無阿弥陀仏と唱えつつ礼拝

南無阿弥陀仏の意味は布教使.comにわかりやすい記事がありますので、こちらもあわせてご覧ください。

4.おもむろに上体をもどし、合掌をときます。

合掌・礼拝した後はもとの姿勢にもどりましょう。

合掌の仕方4
元の姿勢にもどります。

お経の中の合掌

浄土三部経の中のひとつ、仏説無量寿経の中には合掌・礼拝の姿が表現されています。

詣世自在王如來所(げせじざいおうにょらいしょ) 稽首佛足(けいしゅぶっそく)
右繞三帀(うにょうさんぞう) 長跪合掌(じょうきがっしょう) 以頌讚曰(いじゅさんわつ)
訳:(法蔵菩薩が)世自在王仏のおそばへ行って仏足をおしいただき、三度右まわりにその師の周りをめぐり、地にひざまずいてうやうやしく合掌(がっしょう)し、次のように世自在王仏のお徳をほめたたえた。

さて、難しそうで急に読む気がなくなりますよね・・・。

ですので、かなりフランクに訳しますと

昔あるところに、のちに阿弥陀仏という仏にランクアップするスーパーすごい法蔵菩薩という方がおられました。
その法蔵菩薩が、お師匠様となるこれまた超スーパーすごい世自在王仏さまに対して、その周りを右回りに3周まわってひざまずいて頭を下げ、手を合わせました。

という感じですね。

「尊敬する人の周囲を右回りにまわる」というのはインドの古い風習で敬意を表すものだそうです。

これは現代のお寺の作法にも残っています。

法要の時に僧侶がお勤めをしながら本堂内を右回りにパレードする行道(ぎょうどう)という作法の中に見ることができます。

このお経ではこの文章のあとに讃仏偈(さんぶつげ)という世自在王仏を褒め称える偈文が続いていきます。

意訳すると、お師匠様はまじすごい、めちゃんこすごい。そんな仏にオレもなる!!みたいな感じです。

すごいぜ師匠〜!!と言葉で褒め称え、そしてひざまづいて合掌するという行動もあわせて最上級の敬意を示しているということですね。

この姿をもとにして、われわれも仏さまの前で合掌して礼拝し、お勤め(お経を読んだり、言葉で仏を讃えている)をしているのです。

形から入るのはとても大事

よく耳にする言い方に「形から入る」という言い方があります。

これは物事の本質や内容はおいといて、とりあえず道具をそろえたり、フォームをまねしたりする事からはじめることですね。

少し小馬鹿にしたような言い方に感じるかもしれません。

でも、この「形から入る」という事は人間が学びをえる上でとても重要なことなんです。

例えば、こども達は難しいお経を理解することはできないかもしれませんが、合掌・礼拝の仕方を教えればすぐに実践することができます。

1歳半ぐらいのこどもでも仏壇の前で手を合わせるのはできますからね。

もちろん意味はわかっていないでしょう。

それでも形から覚えて、だんだん理解すれば良いのです。

しかし、この簡単なことも大人になるにつれて声にだすのは恥ずかしい、やっても意味がない、など理屈が邪魔をしてなかなか実践できなくなるのが世の常です。

お仏壇の前でお寺さんがお勤めしてくれたらええわ。

ではなく、仏前に座るその本人が参ることが大事なんです。

理想的には「内容がわかって行動がともなう」のが一番だとは思うのですが、人間やり始めてから好きになるものってたくさんあるのではないでしょうか?

むしろ実際に行動に起こして、しばらく時間が経過してからでないと物事の本質というのはわからないことのほうが多いはずなのです。

繰り返しによって「気づき」がもたらされるのです。

合掌はおててのしわとしわをあわせて

おててのしわとしわをあわせて、しあわせ、な〜む〜♪

という有名なCMがありますね。

先日、この歌詞のあとには「ふしとふしをあわせてふしあわせ」という言葉が続くんだと聞かせていただきました。

合掌とは反対に節と節をあわせる、つまり拳と拳があわさる世界は不幸せだというそうです。

相手を叩きのめすために振るわれる暴力は決してあってはならないことです。

節をあわせ「い」がみ合って争う世界ではなく、しわをあわせて「お」がみあって尊敬しあう世界にしていきたいものです。

今は仏壇に参る気なんて起こらないという人も、この記事を読んでちょっと何か感じていただけたなら、まずは姿勢を正して手を合わせるだけでもいいのでやってみてくださいね。

手を合わせる場所、お仏壇を用意しよう

そしてどうせならきちんと仏様に手を合わせる場所としてのお仏壇を用意しましょう。

仏様に手をあわせるということを通して開かれてくる自分自身への発見があるかもしれません。

仏壇って必要なの?仏壇とはそもそもなんなのか??」という記事も仏壇の意義がわかりやすいと思いますのであわせて読んでみてくださいね。