「ものは言いよう」よりも「ものは聞きよう」

浄土真宗

今日はまた永代経の導師としてお勤めをして参りました。

勤行のあとの講師の先生のお話も聞かせていただいて、心に残ったことばを少し。

ものは聞きよう

同じ事でも言い方によって欲も悪くも印象が変わることを

「ものは言いよう」

といいますね。

仏縁にであった人は

ものは聞きよう

になるんだという言葉でした。

ものは聞きよう。

悪口は聞く耳もたないけど、褒めてくれる言葉だけは聞くっていう都合のいい言葉ではないですよ。

生活のなかで自分の悪口、批判、指摘が聞こえてくることがありますね。

普通に考えたらあまりいい気のするものではありません。

でもそういった声があるということは、自分のことをよく見てくれているんだ、という受け止めができるということ。

本当にどうでも良かったら言葉も交わさないわけです。

2015-09-27 15.33.16

仏教的な生き方というのは、耳の痛い言葉に「腹立つわ〜!!」で終わるんじゃなくて、それもまた「お育てにあずかった、ありがたいこっちゃ」と思って、それを栄養に、軽やかにやわらかく生きることかと思うのです。

このブログも文章が硬いとかいろいろご意見頂きますが、それも徐々にやわらかくしていけるようがんばります。

今日も読んでくれてありがとちゃん。









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