人はわかりあえるという幻想。わかりあえなくて普通だよ。

人間関係に悩む大多数の人が思い違いをしていること。

それは「人はわかりあえる」ということです。

他人とトラブルが起こる大部分はこの「思い違い」が原因いっても過言ではないでしょう。

はっきりいうと、人はわかりあえるというのは幻想でありわかりあえるなんてことはありえないんですね。

その立つべき前提が間違っているから、人は人間関係に悩むのです。

人類がうまれて何百万年もたっているのに、いまだに本屋には「人間関係をなんとかするための本」がたくさん並んでいます。

ということはそれだけの時間をかけても人間は人間のことがわからないということですね。

あいつのことはわからん。

あの人は私のことをわかってくれない。

まずはその状態が当たり前ということをおさえましょう。

コミュニケーションはわかり合えないことを確認するもの。

人とコミュニケーションをとるときに、わかり合おうとすることは大切ですが、「わかりあうこと」を目標にするとうまくいきません

コミュニケーションの目標はわかり合うことじゃないんです。

正確にいうと、「相手とわかりあえることはないということがわかる」ということです。

人間関係ってどんなに仲良くなっても本当はその人の人間性の一部をわかった気になってるだけで、つきつめて考えると現実問題としてわかってないことがほとんど。

夫婦であっても、親友であっても、生まれた時からみているこどもであってもわからないのが普通なんです。

これはわからなくたっていいんですよ。

わからないから相手に敬意をもった態度で接する。

わからないから相手にわかる言葉を話そうとする。

わからないから相手にわかるように伝える方法を工夫をする。

相手のすべてを知らなくたって仲良くはできるし、認め合うことはできるんです。

「わからないけど認める」ことはできる。

他人のことは全部が全部わからなくてもいいんですよ。

そして自分のことも全部が全部知ってもらう必要はありません。

相手とわかりあえるはずという前提にたつ人は、「自分にとって理解できる人」を善、「自分に理解できない人」を悪にして、自分の理解を超える人と出会った時に拒絶反応を示すんですね。

人とわかりあえるはずという幻想に生きる人こそ、不毛な相互理解の沼に落ち込み、可能性を逆に少なくするわけです。

相手のことはわからないという前提に立っている人は、わからないなりに調和のとれる距離感をとります。

わかりあうことをゴールにすると苦しい。

この「わかりえる」という前提に立って人と付き合うことは苦しみを生むんです。

例えば会社でのこと。

ブラック企業につとめ、毎日上司によるパワハラ、セクハラ、モラハラなど人間扱いされない日々。

睡眠時間は少なく体も心も疲労困憊。

なぜあの人は自分の苦労をわかってくれないのだろう。

なぜ話が通じないのだろう。

前提としてわかりあえるはずと思っている人は、絶対に達成出来ない目標を目指しているから苦しいのです。

わかりあえないことが前提に押さえられていると、自分が痛めつけられるような人とはサッと適切な距離をとることができるようになります。

例えるなら、刀を振り回している人になんとかわかり合おうと思って近づくとケガをするわけですね。

離れたら悪いかなぁ・・・?なんて思ってはいけません。

刀のあたらない距離までササッと離れる。

それから後の対処を考えるべきなのです。

物事は深く知れば知るほど「わからないこと」が多くなるもの。

物事は知れば知るほど、追求すればするほどわからないことが多くなっていくものです。

ここまでは自分にもわかるけど、これ以上はわからない。

ここまでは自分にもできるけど、これ以上はできない。

やればやるほど、わかることよりも自分にはわからない範囲の方が膨大であることがわかるんですね。

これはどんな職業や技能であってもいえることですし、人間関係も同じです。

経験や知識が浅い人ほどこの話が理解できません。

浅い知識と自分の経験だけを頼りに相手のことを「わかったつもり」になります

こどもなんか見てるとそうですよね。

すぐに「わかった!俺できた!完璧!」なんて言うわけです。

いやいや、全然できてないで(笑

みたいな。

こどもの場合は成長段階ですからかまわないのですが、大人になっても同じようなことを言っているとちょっとイタいですよね。

「わかったつもり」だから人の意見を聞けないし、自分の意見を押しつけるし、相手を尊重することができないのです。

親しき仲こそ礼儀が必要。

家族だからとか親友だからといって、すべてわかりあえるものだと思わないこと

大体、自分自身のことですら全部わからないのに他人のことなんて絶対わかりませんよ。

これが大前提でありおさえておくべき大事なことなのです。

これを家族だからといって「よくわかったつもり」になって自分の所有物のような付き合い方をするとダメなんですね。

親しき仲にも礼儀ありといいますが、親しい仲にこそ礼儀が必要

お互いがわかり合えないという前提にたち、自立したものどうしが認め合う。

それが平和であり健全なコミュニケーションのあり方なのです。

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このブログを書いている人

真宗興正派善照寺というお寺の住職をつとめながら、一方ではフットバッグというスポーツで4年連続日本一を継続中。

真面目なお寺の仕事からステージでのパフォーマンスまで、幅広い活動を通して学んだことをわかりやすくお届けしていきたいと思っています。

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