「安居」と書いて「あんご」と読むこの仏教行事。
簡単に言うと「お坊さん用の勉強会」で、この安居に参加するために本山興正寺に行っておりました。
安居とは
安居というのはもともと古代のインドの言葉、サンスクリット語のヴァルシャ、パーリ語のヴァッサという言葉に当たる「雨期」という意味の言葉です。
インドは広いので地域によって気候がかなり違いますが、4月〜7月ごろが雨期になります。
雨期になると僧侶もなかなか活動がしづらいのです。
激しい雨で外での活動が難しくなるし、道路がぬかるんでいるので伝道(人に教えを伝える)の効率が悪くなります。
また、植物が生い茂ったり虫や小動物などがいっせいに増える時期でもあるので、それらの生きものを踏みつぶして殺生しないようにも気をつけなければなりません。
その2つの理由から、古来僧侶が教えを伝える仕事は雨期の間一旦休みにして、1カ所に集まって集団で勉強し、自身のレベルアップをはかる期間とされてきました。
この勉強期間を安居といい、お釈迦さまがおられる時代から制度が定められ、中国、日本と教えとともに伝わってきました。
興正派では6月に安居を開催。
各宗派で様々な形態でこの安居は行われており、興正派では梅雨の時期6月に本山興正寺にてこの安居が開催されています。
全国から派内の僧侶が集まり、今回は60名ほどの僧侶が参加しておりました。
本来難しい経典の研究に取り組むのは僧侶の仕事なのですが、普段の生活や法務の中で勉強時間をとるのはなかなか難しいもので、ついつい仕事や生活に関わる用事から先にやってしまいます。
しかも、1人で勉強していると解釈が合っているのかどうかもあやふやですから、細かい説明や定義づけを先生の講義で聴くということと、他の僧侶とともに一緒に学ぶということも正確な学びのためには非常に重要な事なのです。
勉強するしかないという場所に身を置くのは大事ですね、というか何事も真剣にとりくむためには環境を整えるのが大切です。
3日間ですがこの期間は勉強にだけ集中できるので、ふだんとは違う贅沢な学びの時間となります。
安居の開会式は開繙式(かいばんしき)という。
普通の勉強会やセミナーなんかだと開会式というのですが、この安居は開繙式といいます。
この繙(ばん)という字はあまりふだん使いませんが、繙く(ひもとく)という意味の字です。
繙く
お坊さんの勉強というと
- 法要に関わる作法関係の勉強会
- お勤めの勉強会
- 教義や経典の内容の勉強会
といくつか種類があって、この安居は教義や経典の内容の勉強会にあたります。
ですから「古い経典・書籍を繙く」ということで開繙式(かいばんしき)というそうです。
知識は大事。
何事もそうなんですけど、人に全て見せるわけじゃないけど、裏には深い知識が用意されているという状態が重要ですね。
パワー30のうちの20を使うのと、100のうちの20を使うのでは、表面にでてる20という結果は一緒かもしれませんが、説得力・余裕・想定外の事態に対する対応力に大きな差がうまれ、それは相手に伝わります。
フットバッグでパフォーマンスする時もそうですが、人前で披露する技は難易度的にも低めで、その技だけとりあげれば初心者でもできるようなものも多く使いますが、動きの質でうまい人との実力の差というのは見えてきますよね。
背後に隠してある技術や知識の差がものを言います。
法話にしても、ひとつの構成を作って一応滞りのない話の筋道ができたとしても、それを裏付ける知識の深さによって説得力に差がでてきます。
フットバッグは自分なりにそこそこ研究してきた積み重ねがあるかなと思いますが、仏教はやはり専門の大学を出てる方の知識を前にするとスカタンもいいところ。
この安居に来ると、「やばい、先生が何言ってるのかわかんない・・・。」みたいな事がボロボロでてきて、自分の知識の無さっぷりを突きつけられます。
このままではヤバイって思う状況に追い込むのが成長には大事だということはわかっているのですが、先を思うとなかんかしんどいです・・・・・が、解決の為には勉強しかない。
記録を見ると、うちのひいひいひいじいさんはこの安居で講師側だったそうだし、それを思うともうちょっと勉強せねばと思うことであります。
優秀レポートに送られる安居賞も1回はとりたいしなぁ。
くそ〜、やるぞ〜。