パフォーマーはブログを書くべき編に続き、今回はお坊さん編。
お坊さんとブログも非常に相性のいい組み合わせなんですよね。
お坊さんがブログを書くべき3つの理由。
お坊さんがインターネットしてるって何か変な感じかもしれませんが、むしろ本当はもっとやらなくちゃいけないことなのです。
なぜかというと
- ネット上には仏教の情報が少なすぎる。
- お坊さんは先頭を切って技術革新に対応する必要がある。
- これからのお寺の運営費用捻出に役に立つ。
ということが言えるからです。
1.ネット上に仏教の情報が少なすぎる。
ネット上には仏教に関する情報がまだまだ足りません。
例えば法話のために何かネタが無いかな?とか探してみても、ピタッとこれだ!という情報に出会うことはあまりありません。
いろんな検索ワードで調べて見ても、でてくるのは同じサイトの違うページばかり。
しかもレイアウトが考えられてないから、読みにくいサイトもたくさんあるんですよね。
これからの時代インターネット上で調べて学ぶということはあたり前になっていきます。
お坊さんは伝えるべき内容を、読みやすい形にしてネット上に用意しておく義務があるのです。
例えばお坊さん1人が10記事でもブログに仏教の話を書くとしましょう。
100人ぐらいでもそんな人がでてくれば、インターネット上には仏教徒の共有財産として1000記事も仏教を伝える記事が創出されます。
数が増えればふえるほど、何気ない検索結果からもたどりついて仏教に触れる人もでてくるかもしれません。
教えは人を通して伝わる。
そしてこれは「書物の解説がブログに載ってる」というだけではダメなのです。
善導大師の往生礼讃には「自信教人信(じしんきょうにんしん)」という言葉があります。
これは「自ら信じ、人に教えて信じさせる」つまり、まず自分が教えをしっかりと味わって喜び、またその喜びをシェアして人に伝えましょうや。ということですね。
まあその後には「難中転更難(なんちゅうてんきょうなん)」それは難中の難、むちゃんこ難しいことだよ、と続くわけですが。
経典にはこう書いてあるぞ、教えたるからよう覚えとけよ、という態度ではいかんのです。
まずはお坊さん本人が仏教の教えを聞かせて頂き、それによってこんな生き方をしているんですよ、ということを自らの味わいを通して自分の言葉で書くということに意味があると思うのです。
これが教えを伝えるということであり、まさしく「自信教人信」ということに繋がると思うのです。
2.お坊さんは先頭を切って技術革新に対応するべき。
かつて浄土真宗の教えが民衆に広まった背景には、木版印刷という技術革新がありました。
手書きでちまちま本を写すのではなく、蓮如上人が木版印刷を利用して正信偈を読むことや和讃をたくさんの人の目に触れるようにしたことが、教えを伝えるということに大きな力を発揮したわけですね。
そういう意味でブログを書くということは仏教を伝えるお坊さんの仕事として重要な役割を果たすのです。
こうやって新しい技術を取り入れようとするとそれまでになかったからという理由で「そんなことやっても無駄や」と批判される方もおられます。
しかしあまぁなんといいますか、前例がないからダメだ、ということほどばかげた批判はありません。
そもそも仏教は「この世の全てのものは移り変わるものである」というのが基本の教えです。
一時も同じ状態はなく生成変化し、諸行無常であるということを説くわけです。
それを説くお坊さんが、「前例がないから」といつまでも過去のやり方に固執していたのでは話になりません。
変化する方が道理なのです。
もちろんおさえるべき本質がずれないようにはよくよく注意しなければなりませんが、伝える手段はもっと自由で流動的に考えるべきです。
kindleの本を出したりすることもいい方法ですよね。
伝統を守ることと、本質を伝えるということのバランスを時代に応じて見極めながら、お坊さんは人々に教えを伝えるはたらきをするべきです。
3.ブログの収益でお寺の運営資金を捻出できる。
正直、お寺の運営には結構な費用がかかります。
坊主丸儲けだなんだ言われますが、外車を乗り回して飲み屋で遊びまくっているなんて人はごくごく一部。
最近ではお寺の後継者が一般的な仕事について、その収入をお寺の運営費にまわしてなんとかお寺を維持しているというような方もたくさんおられます。
しかし外に働きに行って、なおかつお寺の業務もこなすとなると相当な労力と負担となり、教えを伝えるどころではありません。
お寺もぼこぼこ潰れていってるので、継続的に仏教を伝えるという役割を果たすためには運営ということをもっと考えなければなりません。
パフォーマー編でも書きましたが、ブログ運営は(うまく運営できれば)収益事業にすることができます。
少しお寺をとりまくお金の話なんかも含めて書きたいと思います。
教団へ納めるお金が結構高い。
宗派に属しているお寺は、その属している教団に賦課金(簡単な言い方をすると上納金)を納めなければなりません。
形はいろいろですが、教団というのは基本的に全国のお寺が上納金を納めることで運営がなされているわけです。
一般の方からみると、教団という言葉は非常にうさんくさいと思う方もおられるかもしれません。
なんかお金をすごくたくさん集めててよくわからんことに使ってる、みたいな。
教団にも役割があって、
1.お坊さんの資質を保つ役割
組織があることでお坊さんが各自で教えを改変して勝手なことを広めないように教義に対する理解を一定レベルに保つ役割があります。
それぞれが勝手に学んだことを勝手に伝えては非常に無責任なものになります。
僧侶の共通理解や資質を保つために安居などの僧侶のための勉強会が開かれますが、これは教団という組織の力がないとできないことです。
2.文化財や経典の保護
そしてもうひとつは文化財や経典の保護という点。
個人で文化財や経典を保護していくというのは不可能です。
教団という組織があるから、歴史的に意味のある重要な文化財や経典が何百年も保存されてきたわけですね。
お寺に御布施をするということは、通常の各お寺の運営費に使われるということとだけでなく、その中の何割かは文化と歴史の保護につながっているのです。
お寺と寄附の問題
そんな中で、お寺とお金の話題で1番話題にのぼるのが「寄附」の問題。
本堂の修繕、屋根の葺き替えなどの大がかりな工事には一般家庭の家を直すのとはちょっと桁が違う修繕費用がかかってくるのでその費用をどうにかしなければなりません。
これにはお坊さんも悩んでいます。
今までのように檀家さんに寄附をしてもらったらいいや、という感覚ではこの先お寺はやっていけないでしょう。
現在年配の方たちはお寺のためならと寄進をして頂ける方も多数おられたと思いますが、これからの時代はまぁまず無理でしょうね。
若い世代は自分のこどもを育てるだけでも相当な費用がかかって大変なのに、普段関わりももたないお寺から
「本堂を直すので五十万円の寄附をお願いします。」
なんて手紙がきてもお金を出す気になんかなりませんよね。
自分に関わることでもないのになんで払わなければいけないの?って思う人が大多数でしょう。
そうなったらお寺はほんとにこれからどんどん潰れていくと思います。
でもそれで潰れちゃったら、そこまでの歴史もなくなってしまうんですよね。
歴史を守るという意味でもお坊さんはがんばってお寺の維持をしなければなりません。
やっぱり資金のことはよく考えなければならない。
そんな中で運営資金や修繕費用を捻出するためには、資金をつないでいく方法をよく考える必要があります。
そのためには「100件の檀家さんから10万円ずつ寄附を集めて1000万円の資金を工面する」というよりは、「1000万人の人から1円ずつ集めて1000万円を工面する」というような発想が必要になってくると思います。
クラウドファンディング的な発想ですね。
ちゃんと運営すればブログならこれが実現できる可能性があります。
インターネットを通じて世界に役立つお寺に
お寺はその公益性という点で税制面の優遇を受けているのですから、それに見合うだけの役割を果たすべきです。
今までの地域や檀家制度の枠組みの中で「必要なお寺」とされるだけでなく、「全国の人から必要とされるお寺」ということを考えることもばかげた話ではありません。
地域とのつながりと、世界とのつながり、この両面を頭に置いておくことがこの先のお寺を継続的な運営することにつながるとともに、お寺のあり方として必要ではないかと考えています。
そういう意味でお坊さんにとってブログはすごくいい道具だ。
現代人にとってこのお寺・この住職は世の中のためにいてもらいたい!とファンになってもらえる状態を作るのにブログを用意するのは非常に有効なのです。
- 実際のお寺の活動や教えがどんなものか
- 時代に合った広報活動
- 運営資金の確保
上のように、教えを伝えるということ、僧侶の姿勢や活動を見せられるということ、運営資金を得られること全てが「ブログを書く」ということの中で1本化していけます。
土日に法事を勤めてることが多くて、平日はどちらかというと時間的余裕があるという方も多いでしょう。
自分のペースで文章をまとめて発表していけるのですから、ブログという媒体はお坊さんにとって非常に有効な道具となりえます。
▼よし!やってみようか!と思った方はこちらの記事を参考にしてブログを開設しましょう!
▼書籍だったらこれも基本から学べてすごくいい本です!ブログの師匠であるヨッセンスのヨスさんも載ってます。