いよいよやってきました、第3条。
歎異抄の中でも1番有名なフレーズ「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」が説かれている条です。
常識的な感覚とは真反対とも言える、悪人こそが救われるという衝撃的一文。
歎異抄第3条には浄土真宗の教えの要となる「悪人正機」の教えが説かれています。
歎異抄第3条本文

歎異抄第3条は、浄土真宗と言えばこれ!と言われるほど大変よく知られた名文です。
他の条は知らなくても、「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」のところだけはご存じの方もおられるのではないでしょうか?
他の条は最後に本文をのせてありますが、この3条に関してはぜひ本文を読んでから親鸞聖人と唯円さんのやり取りを読んでください。
善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。
しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
浄土真宗聖典p833より
LINEでわかる歎異抄第3条





あそこにはこの質問がわからないといけないよ。


・・・これから1問だけクイズを出題する。
答える時間は5秒間だけ。

もし間違えたら即地獄。
今年の浄土往生はあきらめな。

(親鸞聖人はよっぽどジャンプ大好きなんだな・・・)

①か②で答えること!!
それ以外のあいまいな返事は全て間違いとみなす!

それでは問題!
阿弥陀仏の本願のはたらきで浄土に往生するのはどちらでしょう?
①善人
②悪人

(これはちゃんと答えていいのかな・・・?)

5
4
3
2
1

・・・・・。

ぶ〜
終了〜〜

こたえは沈黙

あほ〜っ!
ちゃんと①か②で答えんかーい!

ひ、ひどいっ(笑
ハンター試験ごっこかと思ってあわせてたのに・・・(笑

まあええわ、今日はこの問題を解説したるわっ!!
善人なおもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや

え〜と、さっきの問題の答えは②の悪人やね。

(うう、答えていいのか迷っただけなのに・・・)

ふつう、世間一般の感覚では
「悪人ですら浄土に行けるんだから、善人はいうまでもなく浄土にいける」
って思われてるやん?

普通はそうですよね。

確かにこれは「もっともらしく」聞こえるけど、浄土の教えということに関してはそうじゃないんだよね。
「善人」にはひとつ重大なことが欠けてるんよ。

といいますと?

善人、つまり自分の力で修行する善によって浄土にいこうとする人は、自分の力を過信して阿弥陀仏の願いを信じる心に欠けてるわけやね。

ん〜、わかりやすいように、なんかいい例えとかないですか?

そうやなぁ・・・。
例えば、フェリーの船長が阿弥陀さんやとするやん?

はい。

このフェリー浄土行きやで。
乗っていったらええで。

っていうたとするやん?

はい。

そんなときに、
「ぼくは泳ぐの苦手やし、ルートもわからんし、自分の力で目的地まで到着することはできへんわ〜」
と思ってる人は素直にそのフェリーに乗るでしょ?

そりゃそうですよね。

これが自分の力では到達できないことを知ってる人、「悪人」なわけね。

なるほど。

それに対して・・・

いや、自分結構できる方なんで、自分で泳いで行くっス!!

いや、多分無理やと思うから、素直に乗ったらええやん?

いや、いいっス!!
自分、できるところまで頑張るっす!!

(そんなに断らんでも、さっさと乗ってったらいいのに・・・)

自力で行こうとする人ってのはこんな感じなんよね。
自分でできると思ってるし、心の底から阿弥陀仏に頼ろうって気がないわけ。

ちょっと泳いだり、頑張ったりするかもしれんけど、結局聞く耳を持たず自分の力をあてにするところから離れられてないってことですね?

そうなんよ。
もちろん目標地点までたどり着ける人はそれでもいいんやで。
でも・・・

うぅ・・
キツイっス!
自分、やっぱ無理っス!!
自分で行くのは無理ってようやく分かったっス!!
ごぼごぼ・・・ッ。

ってあとでわかることもあるでしょ?
そんな人にも

やっぱりなぁ。
ほな乗ったらええんやで。

ありがとうございまッス!!

って、自力が無効であることを知った人も、阿弥陀さまはちゃ〜んと拾って乗せて下さるんやで。

・・・というわけで、どんな修行をしても大した結果をだせず、いつまでも迷いの世界から抜け出せられない俺らみたいなもんのために

最初っから行けへんの分かってるから乗せてったるで。

って自分で行けない人のためのフェリーを用意してくれてるんよ。
それを、

自分で行けるわ!

って乗船拒否するような人に対しても最終的には寛容に乗せてってくれるんだから、最初っから素直に乗せて下さいって人が目的地までちゃんとたどりつくってのはあたり前ってことやね。

これが「善人なおもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
という浄土の教えの一番大事なところや!

なるほど〜!
よく分かりました!

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏
LINEでわかる歎異抄第3条解説
悪人とは
ここでいう「悪人」という表現をもう少しわかりやすくしておいた方がいいですね。
悪人というのは世間一般にいう、犯罪者という意味ではないんです。
悪人という言葉を使うとき、多くは他人に対して「あいつは悪いやつや!」といって、人を断罪する使い方をします。
ですが、悪人という言葉はそういう他人に対して使う言葉とは違うんです。
仏教でいう悪人とは自分自身が愚かなものであることを自覚している人のことを言います。
人生に起こる様々な出来事から、自分の身のあり方がはっきりと知らされて頭が下がる人、それを悪人というのです。
悪人は素直に聞いて行動する人
お経の中には「謙敬聞奉行(けんきょうもんぶぎょう)」という言葉がでてきます。
わかりやすく訳すと、素直に聞いて、行動する人。
どうです?できますか?
どうやっても自分の判断やはからいということが入ってきて、ただ教えを素直に聞くということはなかなかできることではありません。
自分自身が迷いの存在であることを知らしめる教えを素直に聞き、頭が下がる人、これを悪人というのです。
そして、自分が愚かなものであることを知らしめる「はたらき」が阿弥陀仏であり、本願であり、他力と言います。
他力本願の記事でも書きましたが、他力というのは決して他人をあてにするということではありませんよ。
私というものの身のあり方を明らかにするものが他力であり、それに照らされたものがどのように生きるのかが問われているわけです。
自分のはからいを捨てることの難しさ、また善行を修めることのできない愚者のために開かれた教えであることが論理的に見事に説明されています。
※LINEでわかる歎異抄、ぜひ他の条もあわせてご覧ください!