常識人として常識的に生きることは素晴らしい事だよ。

「常識」って言葉にどんなイメージを持っておられますか?

誰しも他人に「そんな常識も知らないの?!」とか「常識でしょ!」とか言われたことの1回や2回はあるでしょう。

そうやって嫌な気になった人が多いのか、現代では「常識をブッ壊そう!」とか「常識を疑え!」とか常識は壊すべきものとしてあまりいいイメージで受け取られない言葉になったように思います。

しかし、そんな中であえてぼくは「常識的に生きるということは素晴らしいことだよ。」と言いたい。

今日は常識という言葉について。

常識を振りかざす人

「常識」を振りかざされて人に責められることってありますよね。

「そんなことも知らないの?」なんて言われちゃったりして。

人にそんな言われ方をすると、なんかものすごく自分がものを知らないような気がして萎縮するし、まあまあ嫌な気がするもんです。

しかし、嫌な気にはなるけど「常識振りかざし攻撃」は死にたくなるってほど辛い攻撃でもないんですよね。

なんかむかつくわ〜って感じで腹は立ちますけど、こちらを打ちのめすだけの決定的な攻撃にはならないわけです。

というのも「常識を振りかざし攻撃」というのは、実はどうやっても攻撃力があんまり強くならないんですよ。

それには理由があるのです。

常識には根拠がない。

なぜなら常識というのは根拠がないからです。

人間が生きるという上で、白か黒かはっきり分ける基準になるものは法律です。

法律は多少解釈による幅はあるものの、明文化されており一定の基準や原理原則になりうるものです。

でも常識にはそのような文章としてはっきり明文化したものを持ちません。

常識というのは実体がなく非常にぼんやりしたものです。

▼どんなイメージかと言うとこんな感じです。

人間のやることって白か黒かはっきりいえないものがたくさんあります。

それぞれの共同体の中で「これは良い、これはダメ」って判断するためのなんとも言えないグレーの部分の情報を「常識」と呼ぶわけですね。

お坊さんの常識、女子高生の常識、会社員の常識など、大まかに判断の指針になる常識はどんな共同体においてもあります。

そしてそれはグループの性質によっても常識には違いができますし、同じ共同体であっても時代とともに変化するものです。

ですから常識というのは関係性の中で生まれてくるどこまでいっても曖昧なもの。

明確な論拠となるものではないため攻撃力が強くないのです。

常識人というのはその世界の常識に詳しい事をいうのではない。

では「常識人」ということも考えてみましょう。

常識人とはどのような人のことを言うのでしょうか?

AグループとBグループの2つのグループを用意してみてみましょう。

例えばAというグループ内で通用する常識ついてめちゃくちゃ詳しい人がいるとします。

▼この赤い人は常識人でしょうか?

確かにAグループの中だけで生きている上においては常識的かもしれません。

しかし、一歩外に出るとどうでしょうか?

 

Aグループの常識を別のBグループに持ちこんでそれを押しつけています。

こう言う人のことを「井の中の蛙大海を知らず」と言うんですね。

常識をたくさん知っている人なのに、こうやってみると非常識な振る舞いであることがよくわかると思います。

この事からもわかるように、真の常識人というのは「自分の持っている常識は特定のエリアにしか通用しないということを知っている人」のことをさすのです。

ここで言うなら、Aのグループで通用する常識はBのグループでは通用しないし、押しつけてもいけないということを知っている人ですね。

ですから、常識を振りかざして「こんなことも知らないの?」なんて言う人は常識人じゃないんです。

「常識」という言葉で押さえておきたいことは、このようにひとつのグループ内で通用する「常識」という使い方と、それをもう一段階広い視点でとらえた「常識」という2層構造になっているということです。

常識的な批判。

現代ではインターネットを使って、コミュニティの枠を越えた情報交換が自由にできるようになっています。

ですから、匿名で人を批判する書き込みも日々大量に目にします。

あまりの過激な内容も多く、批判というより誹謗中傷と言うべきものもたくさんありますね。

本人は正義感をもって非常識な奴らに一言もの申して、世を正してやろうなんてつもりがあるのかもしれません。

しかし、自分の知ってる常識や、自分の見方だけを軸に匿名で人を批判するのは上の図で紹介した赤い人と一緒で、全くもって常識人とは言えないのです。

常識人として生きよう。

常識的に生きる常識人として押さえておくことは次の3点。

  • 常識は無根拠であり、曖昧なものだと理解していること。
  • 時代や共同体によって常識は限定的なものであり変化すること。
  • 自分の常識を他に押しつけないことが常識的であること。

これをわかっている人こそがたしなみをもって生きる常識人なのです。

この事がわかっているなら、常識を振りかざして攻撃してくるような人と出会っても「ああこの人は常識人じゃないんだなぁ・・・。」と思えばダメージを受けません。

相手が本当に常識人なら、こちらがわかってないことを理解してわかるように説明してくれますし、フォローしてくれます。

常識人として常識的に生きるためには周囲への洞察と知性が必要であり、自分の生き方はもちろん他人の生き方も尊重するという節度が必要なのです。

常識人として常識的に生きることは難しく、素敵なことなんですよ。

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