へんもぶろぐだけでこっそり教える超激レアな話

インターネットでサイトを見ていると、いろいろな広告が表示されますよね。

その中で特に多いのがスマホゲームの広告。

しかもその広告ってよく出来てて、ついついクリックしたくなるようにできてます。

いろいろな手法があるのですが、中でもすごく目を惹くのがこの言葉。

激レア!

とか

超激レア!!

という言葉。

この記事を読もうとした方も超激レアな話ってなんかお得な情報が載ってると思ってクリックしたのではないでしょうか?

レアってどういう意味?

レアというのは

英語でrare。

  • まれなこと。
  • 珍しいこと。
  • めったにないこと。

を意味する言葉ですね。

なにかコレクションする時も「レア物」とか言われる珍しいアイテムは重宝されます。

ですから、ゲームの中で激レア!とか超激レア!なんてアピールされると、何か手に入りにくい物が自分のものになりそう!と期待が高まるわけですね。

超激レア!!って嬉しいよね!!

普通では手に入らないアイテムやキャラクターが手に入ると、すごく特別感があって嬉しいんですよね。

超激レア!!ってアイテムがでるとすごく達成感とか幸福感を感じます

そうやってまんまと射幸心をあおられて遊んでしまうわけです。

他にも買い物をする時にはこんな表現もありますよね?

限定5個!!

とか。

そんなふうに言われるとほんとに限定かどうかはわからないのに、それだけで価値が高まったような気がして手にとってしまいます。

そういった「希少性」を感じられると人間は価値を感じるわけですね。

仏教の超激レア!!

そんなことをぼんやり考えてたら、ふと気づいたんですよね。

この超激レア!!って仏教の言葉の中にもあるなって。

それが三帰依文(さんきえもん)という言葉。

『三帰依文(さんきえもん)抜粋』

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。

仏法聞き難し、いますでに聞く。

この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。

大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉(たてまつ)るべし。-後略-

意訳してみますと、

人間として生まれるということは超激レアなことだし、その上で仏教の教えに出会うことも超スーパー激レアなことである。

その超激レアな生を受けたこの人生において大事なことに気づかなければ、いつ気づくことができるというのでしょうか?

仏・法・僧をよりどころとして、人生の意味をたずねていきましょう。ー後略ー

こんな感じでしょうか。

人として生まれることは超激レア!!

これを読んでいる人は、どういうわけか人として生まれてきたわけです。

この時点でも超激レアなことなんですよ。

自分から10代さかのぼったら1024人のじいちゃんばあちゃんがいて、そのうちの誰かひとりでも出会わなかったら存在しないんですからね。

それに、生まれることだけが超激レアじゃないですよ。

よくよく考えてみると水道から水がでることだって超激レアだし、日が昇るのだって超激レアだし、誰かと一緒にご飯を食べられるなんてのも超激レアですよ。

そんな超激レアな人生を送っているはずなのに、ついついその事実を忘れてしまいます

人間はどんどん超激レアだということを感じる心が鈍くなっていくんですね。

これを「あたりまえ」の心といいます。

本当は大事なものなのに、様々なことが「あたりまえ」になっていく。

そして「あたりまえ」の中で価値を忘れていき、それを失うことになってからはじめて気づくのです。

人生が超激レアであると気づけた人の使う言葉

でもこの人生が超激レアなことである!と気づき、人生を大切に生きる人はこんな言葉を使ってきました。

「ありがたい」と。

「ありがたい」はもともと有ることが難い、「有り難い」という言葉です。

つまり、めったにない超激レアだということですね。

そのように目の前に起こる出来事を超激レアだ!!と感じていく心は人生を豊かにしていくのです。

人生は超激レアの連続だ。

人生に起こることは何1つ同じ事はなく、すべての出来事が1回きりです。

われわれはいつ終わるかもわからない、一度きりしかない超激レアな人生を生きているのです。

そんな人生を、なんでもかんでも「あたりまえ」ととらえ感動の薄い日々を送るのか。

それとも目の前の出来事を「これ超激レアやん!」と受け止めて感動しながら生きるのか。

両者の人生の味わいには大きな差がでてくるとは思いませんか?