お坊さんは衣に着替えることでやる気スイッチが入るのですか?

月に1回、西日本放送の波のりラジオに出演させていただいております。

しかし今回の収録日はお参りの時間と重なって、高松のスタジオまで時間的に行くことができないスケジュールになっていました。

そこで、今月はお参りに行った先でお坊さんの格好のまま、電話応対という形でラジオにでることに。

普段はジーンズにパーカーみたいな楽な格好でスタジオに行っているので、

へんも
普段は私服ですけど、今はお坊さんの格好をして電話で話していますよ〜。

なんてことを話すとお坊さんの服装が話題にのぼり、番組内でもいくつか質問をいただきました。

その質問のひとつを振り返って考えると、自分のことを知る重要な問いを頂いたなぁと、味わい深く感じたのでそのことをブログ内に記しておこうと思います。

衣装によって生き方は変わるか?

「三原さんはお坊さんの服装になったら、何か気持ちが切り替わったりしますか?」

正確な文言は忘れましたがラジオ番組の中でこんな感じの質問を頂きました。

要はお坊さんの格好になったら、お坊さんとしてのやる気スイッチが入るか?という問いですね。

それに対して

へんも
ん〜あんまり変わらないですねぇ。

って答えたんです。

それは何かを狙って答えたというわけじゃなくて、正直に頭に浮かんだ気持ちがそうだったんです。

もしかしたら番組的には「やっぱりそうですよね!その格好に着替えたら気持ちも切り替わりますよね。」というように、話に結論がつくと良かったのかもしれません。

ですが、この問い関しては「衣装によって気分がかわるよ」という安易な答えにはならなかったのです。

仕事モードのオンとオフ!

仕事をしているオンの時間と、プライベートのオフの時間をわけられるような生活スタイルの人は、何かでそのスイッチを切り替えていることと思います。

その中でも衣装を変えるということが、そのオンオフの切り替えに非常に重要な役割を担っていることでしょう。

例えば、スーツを着たら仕事モードがオンになるって方も多いでしょう。

また、はちまきを締めたらやる気がでる!とか、女性であれば化粧をすると戦闘モードになる!みたいなのもあるかもしれません。

そうやって衣装がその人のモチベーションや意識をかえるという事はもちろんあるんですが、こと僧侶の服に関してはぼく自身はあまりそういう感覚がないんです。

確かに、サーカスやパフォーマンスにでるときに衣装を着るとステージむけのテンションになるってことはあります。

他にも、公式な場所へ出席する時にスーツを着るとちょっと気持ちが引き締まる、なんてこともありますね。

でも僧侶の衣を着るときにはあまりそんな特別感がないんですよね。

日常的に着ているからすでに普段着みたいな感覚があるのもその理由の1つかもしれませんが、そこには1つ重要な視点があることに気づきました。

「職業」と「生き方」の違い

ぼく自身あまり僧侶という立場を「職業」だとは考えていないところがあります。

職業としての「僧侶」だと、周りから求められている役割に対して仕事モードをオンにするということになります。

そして、仕事が終わったらオフになるわけですね。

一般的な仕事ならもちろんそれでいいと思うんですが、僧侶というあり方はそれだけではだめだと思っています。

僧侶は職業というより生き方

「職業」ではなく、ひとつ仏教というものの考え方を大事にし、そのモノの見方を芯に据えた生き方をする人が僧侶であるということですね。

ですから、衣装を着たときだけ僧侶で、脱いだらそうじゃないというのではだめなんだと思っています。

オンもオフもありません。

▼もちろん、葬儀や法事の場にはこんな僧侶の格好でなければ場が成り立ちません。

お坊さんの格好をしているときだけお坊さんじゃなくて、どんな格好をしていてもお坊さんであるべきだなと。

ジーンズをはいててもお坊さん。

▼フットバッグやっててもお坊さん。

衣を着た時だけお坊さんとしたの立ち居振る舞いになって、脱いだらちゃらんぽらんではやっぱりだめなんだということですね。

そういう意味で、自分の中では僧侶の衣を着ているときもそうでないときも

へんも
ん〜あんまり変わらないですねぇ。

と無意識に答えられたことで、自分の中では特に意識的な差はほとんどないということがはからずも再確認できた、そんな波のりラジオでした。

合掌