先日、他のお寺の法要でお話をする講師として招かれたときのこと。
そのお寺は結構田舎の方にありまして、うちから車で50分くらいかかるところにあるんです。
自分で運転をしながら向かったのですが、その道中に起こったできごと。
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田舎道のろのろ運転の法則
田舎の一本道って、急ぐときに限ってめちゃくちゃのんびり走る車がいるんですよね。
時速40km制限の道を20kmそこそこぐらいで、それはもうゆったりマイペースでお走りあそばされます。
そんな車は後ろなんか見ませんよ。
常に前向き。
しかも追い越そうと思っても道も細いので追い越し禁止だったり、脇道もなくて違うルートに迂回することもできないわけです。
そして車を見たら高齢者マーク。
なんでもない時はしょうがないなと思って気になりませんが、到着時間を約束していて、なおかつ自分が着かないと話にならない時は非常に焦ります。
のろのろ運転カーにテレパシーは届かない。
と、強くはっきりとしたテレパシーを前方の車に送るも、目にうつるのはカッチンカッチンと自分の曲がりたい方向と同じ方向に表示されるウインカー。
・・・絶望。
前の車も高齢者マークを着けておられますから、無理に追い越そうとして慌てて事故を起こしてもいけません。
いくらイライラしてもしょうが無いので、焦る気持ちを抑えつつ後ろをついていくしかないわけです。
もうね、頭の中は
避けてくれたらもうちょいスピード出せるのに〜!
と、こっちも約束の時間に遅れてはいかんので気が焦る一方です。
そんなイライラも、とあることで状況が一転。
そんなイライラと焦っている状態だったのに、ふと視界に何かうつった気がしたのでその方向に目をやると、草むらになにやら人影が。
よく見ると警察官。
ねずみ取りでスピード違反の車を取り締まっていたのです。
ドキッ!として、ふと我に返ると頭の中切り替わりますよね。
やばかった・・・これ焦ってスピード出してたらここで捕まってたかも・・・。
って。
そうなると、今まで散々遅い遅い、はよ進んでくれ、はよ避けてくれと思ってイライラしていた相手に対して怒るどころか、
と感謝の気持ちさえ起こってくるんだから身勝手なもんです。
非常時に顔をだす自分勝手なものの見方。
運転スピードの遅い車が前にいたから、その後をついていった。
事実としてはただそれだけのことなのに、
- 約束のタイムリミットまでの焦り。
- 自分の方がスムーズに運転できるという過信。
- ねずみ取りにひっかからなくて良かった。
全部自分の都合で、自分勝手なものの見方をしていたなぁと反省したことでした。
結局最後の最後、目的のお寺100m手前までその「のんびりカー」に先導されながら向かったのでした。
幸い法要の開始時間にもぎりぎり間に合い事なきを得たものの、とても考えさせられる出来事でありました。
やっぱり非常事態になったときにどういう判断やものの見方ができるか?ということが人間のひとつの値打ちになります。
大変焦ったとともに、非常事態には「自分の都合」というものが顔を出し、そんな時には本当に身勝手なものの見方になるということを改めて反省したのでした。
まあ、早めに家をでろよって話なんですけど。合掌。
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