責任者はスルー能力を身につけよ。オロオロするのが仕事ではない。

先日、救急隊員さんに対するクレームによって救急隊員さんたちの働き方が制限され、苦しめられているという記事を読みました。

参考:消防士を悩ませる過度なクレーム スーパーへの駐車で苦情など

このニュースの中にもありますが、消防長(責任者)がクレームに対して謝ってしまったがために、その署での活動に制限ができてしまったようです。

今日は責任者のあり方について思うところを書きます。

責任者の仕事は個別対応ではない。

タイトルにはスルー能力と書きましたが、これは「責任をとらなくていい」という無責任な話を言いたいのではないんですよ。

責任者の仕事は「クレームへの個別対応ではない」ということです。

責任者が覚えておくべきことの1つ。

それは「人間のやることですべての人を満足させることはできない」ということ。

責任者の仕事はその組織の力を最大限に発揮して利益やサービスを最大化することが目的です。

それは中で働く人が生き生きと働けることであり、なるべく多くの方にサービスを提供することです。

関わる人全員を100パーセント満足させるということではありません。

責任者はまずこれを抑えておくべきです。

100パーセントの満足を目指そうとすると、100パーセント判断を間違えますよ。

立場によって物事の見え方は人によって違う。

組織の責任者は自分の組織の状態、人、外部環境、歴史などを総合的に判断して現状ベストだと思う決断をします。

それが一部の人に反感をもたれたとしても、それは持っている情報量の違いであり、仕方ないことなんです。

批判する人は基本的に物事の一部しか見えていません

批判する人にもいくつか種類があって、

  1. 組織を思って建設的な意見を出してくれる。
  2. 利害関係にある。
  3. 相手がキライで何か言いたい。
  4. そのとき機嫌が悪い。
  5. 嫉み、嫉妬。
  6. なんとなく目についた。

ぐらいになるでしょうか。

批判を受けたとき、①の場合の意見ももちろんありますがおそらく数は少ないでしょう。

お客様の声を集めて判断材料にはもちろんするべきではありますが、総じて文句の方が大声になります。

①の建設的な意見の場合は言い方も穏やかです。

大声での文句の場合はほとんど②〜⑥になります。

そういう「大声で文句をいう人が全体の何パーセントかいる」ということは頭においておくべきですが、責任者の仕事はそのすべての意見を拾う事じゃないんですね。

批判者は誰も責任をとれない。

例えばうちのお寺でも、実際にぼくの耳には聞こえてきてはいませんが

謎のモヒカン
法事やお勤めだけしといたらええんじゃ!坊さんがそんな余計なことに時間つかうなよ!

って思っている人もたぶんいることでしょう。

ブログで書いている内容に対しても、

謎のモヒカン
屁理屈ばっかり書きやがって!

みたいに思っている人もいるでしょうね。

でもその人達がこれからのお寺が何か立ちゆかなくなった時に、全責任を取ってくれるということはあり得ないんです。

その批判的意見がものすごく大多数になった時には判断を間違えているのかもしれないと思って見直す必要があると思いますが、全部の意見を運営に取り入れる必要はないということです。

「かなり満足している」という人は、メッセージで感想を送って下さることもあります。(これはめちゃくちゃ嬉しいです♪)

ですが、「ある程度満足」「ふつう」「無関心」「ちょっと不満」という人は特に何か行動をおこすことはありません。

批判的意見の方がでやすいということ、それから内容や程度を考え、情報を取捨選択して決断するのが責任者の仕事です。

責任者は総合的な判断をする立場。

間違ってはいけないのは「現場の担当者」は個別の対応をきちんとするべきです。

相手が怒っていること、困っていることに対応して満足度を高めることは重要です。

しかしそれは「責任者のすべき仕事」ではありません。

一応「そういう意見がある」ということは把握しておき、分析した結果、却下する。

そういうスルー能力が責任者には求められるのです。

まぁお寺の場合は現場の担当者(住職)、総合責任者(住職)なのでその判断のバランスをとるのは難しいのですが・・・。

責任者は全体を見渡して「聞くべき批判」と「聞くべきじゃない批判」を判断し、堂々と組織の能力を最大化するために判断するべきなのです。

最初に紹介した消防士、救急隊員の方達はじめ、学校の先生やお医者さんなど多くの職業の方がクレームによる制限で生き生きと働きにくくなっているように感じます。

どの職業の方も気持ちよく働けて、力を発揮できる環境が実現できることを切に願っております。