「こまかい」ことってみなさん好きですか?
「こまかい」は褒められることもあれば、嫌われることもあったりして・・・。
今日は「こまかい」ということを考えたいと思います。
「こまかい」ことは価値がある。
あんまりこまかい事を言うと人に嫌がられるってことがありますが、いい仕事のためにはこまかな違いがわかるということは重要な能力なのです。
パティシエだったら0.1gの塩の味の差が食べてわかるほうがいいし、木に触れたら厚みの違いがわかる職人のほうがいいし、楽器の音の響きの違いがわかる演奏者のほうがいいわけです。
優れたマジシャンはトランプを適当に掴んだらそのトランプの枚数がわかったりしますしね。
機械でもそうです。
1グラム単位で計れる「はかり」と0.01グラム単位で計れる「はかり」では値段が違います。
0.01g単位で計れるはかりの方が値段が高いんですよね。
チューナーなんかは精度が高いに越したことありません。
それぐらい「こまかい」ことが判別できるということは価値があることです。
勉強はこまかい区別の連続
勉強するというのは、物事を区別することであり、そのこまかな違いを理解して情報を整理する能力を高めていくということです。
「水素」と「ヘリウム」は性質が違うよ。とか、「織田信長」と「豊臣秀吉」は違うよとか。
勉強ができるというのは、「AとBはこういう風に違う」と区別をする能力が高いということですね。
指し示す単語もたくさん覚えて、それがどんな意味や関係性を持ったものかを理解していくわけです。
勉強ができる人というのは「こまかな違いがわかる人」であり、処理能力が高いと言えるでしょう。
勉強できるのに仕事ができないという人
こまかな違いがわかる事がいいんだといっても、その違いに「こだわる」と間違えることがたくさんあります。
こまかい事が「わかる」ということと、「こだわる」ということはちょっと意味が違います。
例えば・・・新入社員が社内で確認する文書を作るなんて時。
外のお客さんに出すものではないから、必要最低限の読みやすいレイアウトで文書を作ればいいわけです。
ですが、上司が見るからといって、文書の装飾や色使い、文字間をどうするかなど、レイアウトに何時間もこだわって仕事をしていたら、いくらこまかい事に気づいて仕事ができるといっても効率が悪すぎるし意味があまりないわけです。
横から見てたら「そんなことやってもしょうがないのに・・・。」って思いますよね。
目の前の問題の処理で広い視点がもてず、全体の中でどの程度のこまかさが必要か、どういう意味があるのか?ということがおさえられていないのです。
ものすごく細かいことができるのに、仕事の成果がでない人というのは全体像がおさえられていないことが問題です。
「こまかい違いにこだわる」のは全体像をおさえてから。
仕事ができる人は
全体像の把握と細部のこまかい仕事が両立している人
だと言えます。
努力って何かを書いた記事でも少し触れていますが、やはり精神論と方法論を切り離して考えたほうがうまくいくことが多いと思います。
「こまかいことにこだわる」だけの人は思いの部分が強すぎて、こだわることが目的になってしまいます。
- 何が目的か全体像を大枠でとらえる。
- 細かい問題点を緻密に取り組める。
仕事が出来る人はこの2つが両立しているのです。
細かいところにこだわるだけでもダメだし、大雑把すぎてもだめ。
前にブロガー合宿をして集まった人達は、「そんなとこまで手を入れてるの!?」ってお互いが驚くぐらい、みんなほんとに細部にわたって仕事がなされていました。
記事を取得できませんでした。記事IDをご確認ください。
でも重要度の低いところはそんな楽ちんでいいの?ってぐらいあっさりこなしていたりして。
全体のことがしっかり把握できているので力の割り振り方がうまいんですよね。
そして、自分の目指している到達点のためにここはおさえておかないとという部分はものすごく時間をかけた丁寧な仕事をしています。
ものごとの解決にあたるときは、細部のこまかい所まで気を配れる緻密さと、それを大きな広い視点で俯瞰すること。
これを意識して仕事に取り組みたいものです。
と言っても人によって向き不向きがあるので、まずはグッドポイント診断で自分がどんなことにむいているかチェックしてみるというのもおもしろいですよ。
「こまかい」分析をやってくれます。